2024年「余市マイウイスキーづくり」懇親試飲会体験記 前編

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2024年11月21日、余市から以下のような手紙が届いた。

10年は長いようで、あっという間だった。なんとか元気でこの日を迎えることができた。

10年前修了書カードを発行して頂き、ここに記載してある3箇条を守って毎日心待ちにしていた。
とても大切に保管しており、追加購入用の現金と一緒に銀行の貸金庫に10年ほど保管していた。今思えば10年分の貸金庫代の方が全然高い。。。
このカードを10年ぶりに貸金庫から出し、余市醸造所まで持っていた。

この手紙を貰った方の約半数の方が、たった1時間の懇親会の為に全国から集まる。工場見学も特別枠で用意されているが、一応人数制限があるので、すぐに電話をする。
「ご予約専用番号」に電話をしてみたのだが、何故か繋がらない。
何かの罠か?と思ったのだが、ミスなのか電話番号の最後の1桁消えている。
焦らず最後の1を押して繋がった。この電話番号は公開されており通常の工場見学の予約と同じ番号である。
電話はマイウイスキーの懇親会に参加をする旨を伝えたら、開催日等を尋ねられて一応の確認があった。そのほかは通常の予約と同じだ。
WEBで確認する限り既に当日の予約は全て埋まっており、ちょっとした優越感に浸れた。

そして2024年12月7日の当日の朝を迎えた。万が一を考えて小樽に前泊しフロントで相談したところ、雪のためバスより汽車の方が良いとのことでアドバイスを頂き、10時余市駅着の汽車で向かった。

2013年の余市駅の樽

余市の駅に着くと、この様な樽が迎えてくれる。駅から出る前から、ワクワクを高めてくれるのだ。

実はこの樽を見るのを楽しみにしていたのだが、残念ながら樽は撤去されていた。ちょうど窓のところに少なくとも2019年までは存在していた。。。

何度か足を運んだことがあるが、雪の中は初めてである。
大雪の中、やっと着いた余市蒸溜所の門は、神々しく迎えてくれた。
あぁ2Fの窓も懐かしい。マイウイスキー参加者は、ここの2Fにも上がれたのだ。

2019年のモニュメント
2024年のモニュメント

入口をくぐると、早速モニュメントの違いに気がついた。
5年前は木でできたモニュメントなのに石になっていた。余市の方に話を伺ったところ、木のささくれが酷く危険なため石のモニュメントに変更になったとのこと。
よく見ると「ニッカウヰスキー北海道工場」から「余市蒸留所」に変更になっており竹鶴政孝氏が考案されたニッカのエンブレムが強調されている。ちなみにこのエンブレムは初期の物としてゲート2Fの部屋にある暖炉上にもあるのだが、あまり知られていない。

ちょっと早く着いたので、ビジターセンターで待つことになった。
昔は多少の融通が利いたのだが、なんと時間ぴったりまでは受付もして貰えなくなっていた。観光者が増えてしまったのでやむを得ないのだろう。

2013年のビジターセンター 誰も居ない方が多かった気が。。。
2024年のビジターセンター

昔のビジターセンターは単なる待合室の雰囲気が強かったが、ガイドツアーを前提とした作りに大幅に変わっていた。多分変わっていないのは天井くらいである。

ガイドツアーは時間ぴったりに始まった。
以前には無かったプロジェクターによるスライド画面で製造工程の紹介があった。こちらについてはマイウイスキーの参加者にとってはおさらいの内容である。
一通り見終わると、外に出て製造エリアの説明。
ただ大雪のため、時間短縮してのガイドツアーだった。とにかく寒い。
外は吹雪いていたため正直段々とどうでもよくなり、話の半分も聞いていない。顔に雪が当たり痛いのだ。既に何度も聞いているし、この日のために何度も復習していたため説明が無くても知っているからでもある。途中にあるポットスチルは自慢の石炭直火蒸溜なため、大変温かく居心地が良かった。No.3のポットスチルがお気に入りである。そこで10年前に石炭をくべたからだ。きっと誰かの美味しいウイスキーとして飲まれていただろう。もしかしたらまだ樽にあるのかも知れない。そんな思い出が蘇ってきた。

人気のツアーと聞いていたが、さすがに当日は外で他の見学者は見当たらず懇親会参加者のみがぞろぞろと居るだけだった。。。

誰もいない余市蒸留所

やっとのことで試飲会場まで足を運んだ。試飲はいつも通りだ。アップルワインは味が濃いため、試飲をするか否か悩んだのだが、目の前に出されたお酒は飲み干す主義なので、薄めの水割りにしてありがたく頂いた。その後、大量の水を飲んで口の中をリセットし準備を整えた。

トイレにも向かい準備万端。現在12時15分。戦闘態勢に入る。
本編に続く

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