憧れだったハードディスク

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1992年頃、やっとの事でハードディスクを手に入れた。
この頃はPC-9801FAという機種が発売されていたが、まだまだハードディスク無しの機種が主力の時代で定価458,000円のところ、100MBの内蔵ディスク付が648,000円だった。
差額の190,000円がハードディスク代だ。今だととても使い物にならないが、当時は100MBの大台を超えると特に大容量ハードディスクと言われていた。
正式には「大容量固定ディスクドライブ」と言われていた気がする。

この頃になると、PC-9801用のサードパーティーが元気にしていた。今でも残るメルコ(現バッファロー)やアイ・オー・データ機器なんがか筆頭である。
それよりも知名度の劣る会社は、それを補うため安くて高性能な増設機器を販売していた。
この頃は特に個人ユーザーは純正品を買うようなことは少なかったと思う。

そんな中でキラリと輝く会社があった。緑電子という会社だ。21世紀を迎える前に経営不振で営業譲渡されてしまい、忘れ去られた会社である。
この緑電子だが、そこそこ安くて高性能な製品を販売していた。
純正品の100MBハードディスクなんてとても買えないので、喜んでこの会社のハードディスクを買ったのだった。「DOODA A-100」という機種である。ちょっと名前がダサかったが、実売で60,000円強だった。純正品の1/3の価格である。しかも純正品より高性能だ。本体のデザインもダサかったが純正品の価格を考えると背に腹は代えられない。
40MBであればもう少し安かったが、コスパを考えると100MBが丁度良かった。当時は100MBもあれば10年位は使い回せるのでは?と思うような容量だったが、3年後にはパンパンになっていたものだった。

このハードディスクは、新品購入して初めて電源を入れると自己診断プログラムが自動的に起動するようになっていた。
診断が終わると16色に減色された写真が表示された。私が責任を持って出荷しました!的な本名と顔写真である。今だと顔写真が収集されXあたりに転載されていたに違いない。○○さんの検品はハズレ!とか流れるのは想像に難しくないので、今だと絶対にあり得ない。
当時面白いので試しに再起動してみたが、この写真は一度しか見ることができなかった。どうにかして保存してみたかったのに、今でもちょっと残念である。

付属していたS.O.Sというランチャーソフトも中々便利で、対応するファンクションキーを押せば一発でアプリが立ち上がるようなソフトで、そこそこ人気があった。
自分もしばらく使っていたが常駐するメモリ量がやや大きかったことから、当時フリーソフトとして人気だった「FD」と呼ばれるファイラーから直接起動するようになっていった。

こうして、サウンドボード、メモリー、ハードディスクと順調に性能アップをして2年がかりでまともな環境へ整えることができた。
趣味とは言えアルバイトで貯めたお金が、あっという間に無くなっていくのが中々しんどかった。。。

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